フランス印象派の陶磁器 -ジャポニズムの成熟- @パナソニック汐留ミュージアム
ジャポニズムに影響を受けた、「フランス印象派」の陶磁器展に行ってきました。
フランス・リモージュ磁器「アヴィランド」の代表(当時)がジャポニズムに傾倒し、印象派の画家「フェリックス・ブラックモン」中心に、ジャポニズムを取り入れた磁器を作りはじめたそうです!
はじめは冗談みたいな、「北斎漫画」のお皿から
スタートは、「北斎漫画」の模写をお皿に大胆に載せることでした。これが今みると変で、個人的には「北斎がみたらきっと激怒」「くれてもいらないな」
という代物。ご丁寧にも、どのお皿にも奇妙な北斎風の虫を載せているのが何ともダイエットが捗る感じです。
「劣化コピー」としか言えないような作品でしたが、それは今から見るとそうというだけで、「日本の図柄を取り入れた」「お皿の中央に絵柄を入れた」というだけで革新的だったそうです。
劣化コピー→融合→昇華のプロセス
時代を追って展示を進むと、次第に、「何となく和と洋を感じさせるもの」や、「言われていみるとどことなく日本風」という作品に変容していきます。(単なるジャポニズムに飽きて、でもオーダーが来て投げやりに作った作品も有り)
絵柄だけでなく、素材や釉薬も東洋のものを用いたり、画面の配置にどことなく「侘び寂び」を感じさせたりする作品も。違和感が強烈な作品から、次第にこなれた素敵な陶磁器になって行きます。
ある程度の時を経ることで、「劣化コピー→融合→昇華」と変容していく様子が見ることが出来たのが、一番印象に残りました。
画家はもちろん、スポンサー(社長)が、「こんなのジャポニズムちゃう!もうやめや!」と言わず、長い目で継続したのが良かったのでしょうね!
2014/6/22(日)までの展示です。
ピアノの表現力に震えた日
6月4日、ヴィクトール・ゴールドベルグさん@トッパンホールのピアノ・リサイタルに行きました。細かい感想はさておいて、忘れていたピアノのダイナミクスと表現力に、心底驚きました。
会場が飽和するピアノの大音量
ピアノって本当に小さな音から大きな音まで鳴るのですね。
ムソルグスキーの「展覧会の絵」のキエフの大門が演奏会のフィナーレだったのですが、地鳴りのような音のうねりに体が包み込まれました。トッパンホールは400席ほどの小さめのホールなので、「会場の大きさが足りない!」と思うほど音が飽和していました。
「作曲家」の音
アンコールで1作品ごとに違う作曲家の曲を弾いてくださったとき、特に表現の違いが鮮烈でした。
「スカルラッティのp(ハープシコードのようなp)」とか、ラフマニノフの時はラフマニノフの音、チャイコフスキーの時はチャイコフスキーの音が鳴る。
チャイコフスキーの「舟唄」のときなんか、聴衆がみんな舟をこいで眠りそうになっていました。笑霧がけぶるような湖上で、本当に舟をゆったり漕いでいる気分になったんです。
「打ち込み」と「生ピアノ」との超えられない壁を感じるのも一興
わたしが普段接している電子ピアノとサンプリング音源では、基本的に音の違いは「強弱」で、「大きさはp(ピアノ)やpp(ピアニッシモ)なんだけど、芯があって強い音」「物憂げなf(フォルテ)」なんて表現が難しい。打ち込みの音もどんどんリアルになっていくと思いますが、本職のピアニストさんの「その作者、その曲、その部分」に合わせて出した音とは比較できません。
当たり前のことを書いているんですが、それでも書きたかったほど衝撃でした。
たまにCDやyoutubeじゃなく、コンサートに行くのはおすすめです。
どの楽器でも、「楽器一つでここまでのダイナミクス、表現が出来るんだ」という衝撃が待っているはず。
去る5/30(金)、懸田貴嗣さんのバロックチェロコンサート@神楽坂ジョルジュ・サンドに伺いました。
楽曲が演奏された当時の演奏会スタイル
バロックチェロが演奏されていた時代の演奏会は、今のように何百人、何千人という観客を相手に演奏していたのではなく、ごく身内の演奏会だった、その雰囲気で演奏したいと仰っていたのが心に残りました。
じっさいにコンサートでは息遣いを感じるような距離で聞くことができ、一音一音の違いを見逃したくないと、耳が音楽に集中しました。かといって緊張感を強いるようなものではなく、音楽に合わせて体を揺らすことも許される雰囲気。
集中しつつもリラックスしている、フロー状態に導かれるようなコンサートでした。
特に当時多かった舞曲形式の楽曲は、実際には踊らなかったとしても演奏者も観客も眉間にしわをよせて真剣に聞くようなものではないそうです。ガヴォットもメヌエットもシャコンヌもブレもパヴァーヌも舞曲だということを知っていたのに聞くときも演奏するときも忘れていました。
古楽器の魅力。便利さを代償に、繊細な違いを
バロックチェロのガット弦(羊の腸)は音が狂いやすく、当時の弓は今の弓と違ってどの音も美しく均一に出すように出来ていないとのこと。現代の楽器のような便利さや安定感がないかわりに、古楽器は繊細な音の違いが生かせるのだとか。
何より曲が生まれた時代の楽器で、今も聞くことが出来るというのは有り難いですね。弾きこなすのがどれだけ難しいのか、想像も及びません!
私もいつか金属弦のハープに挑戦したいのですが、その前に今のネオアイリッシュハープで何ステップも経る必要がありそうです。
道は遠いが、積み重ねが大事!
↓懸田貴嗣さんの「ランゼッティ チェロ・ソナタ集」より
英語レッスン中に、根本的なテーマにぶつかった。
オンライン英会話のレッスンを受講しています。先生の一人が、海外で作曲をしている方でした。自然と音楽の話題が中心となるうちに、「なぜ、あなたは作曲をするのか」「どんな音楽を作りたいのか」といった根本的なテーマに行き当たりました。
これは、日本語でも答えるのが難しい問いでした。何日か考えるうちに、ぼんやりとしたものながら答えが見えてきました。
「なぜ、あなたは作るのか」
最初に浮かんだのは、「好きで続けているうちに、色んな意味で生活の一部になった」という答えです。真実ですが、もっと良く考えると「作らなきゃいけない」という焦りが原動力だな、と気づきました。この焦燥感がどこから来るのか分かりません。わたしが「作らなきゃいけない」なんてことに何の根拠もないのです。今はこのかっこ悪い「勘違いな焦り」を原動力として受け止めるしかありません。いつか違う何かに変わったら、私の中で大きな変化がありそうです。
「どんな音楽をつくりたいのか」
ぱっと思いつく「映画音楽」は、「何の音楽をつくりたいのか」という問いの答えであって、「どんな音楽を〜」に対する答えにはなっていません。何日か考えていて、「日常からちょっとはなれて、思考を自由にときはなつ」という言葉に至りました。
実は、一年ほど前から「時空を旅する音楽」というキーワードを自分の音楽に使っています。使ってはいたものの、どこか居心地の悪さを感じ、少女趣味すぎる気もしていました(というか厨二病ですね)「時空を旅する音楽」というキーワードが本当を何を表してるのか、つまり自分が何を作りたいのか、まだ不確実ながらもひとつ答えをみつけることが出来ました。
たまには立ち止まってみる。そして考える。
何よりも手を動かすことが大事だと思います。ですが、ときには立ち止まって考えるのもいいのかもしれません。
「なぜ、あなたは作るのか」「なにを作りたいのか」

強風にも負けず、満開の桜が咲いていました。中学生のカップルがイチャイチャする横で、ガチャガチャシャッターをきって来ました!近づいても遠のいても、どこから撮っても桜は綺麗ですねえ。
春の最重要イベントといえば、わたしにとってはメディアミックスイベントM3なわけですが、今回は色々行事と重なりまして、残念ながら不参加&当日会場にも行けないことになりました。曲を提供させて頂いた作品がありますので、また情報を公開出来るようになったら掲載します。
撮影日 2014.03.31